半円の向こうに見える白

縁あって不思議な純白の六分儀を手に入れたニキハが、
難しい家庭にいるシズイに初めて手を伸ばす話です。

12-13歳くらいでまだ親の力が強い子ども時代をイメージしています。
2016年頃の学祭で、「星座」がテーマで発表した作品のはず。
多分……(記憶がおばーちゃん)


 

 

――シズイ、

っ! ……な、なに……? 母さん……

――まだなにもしてないでしょ、そんな顔しないでよ。……母さんまた『プラムの会』やってるから……どこか行ってて。自分で寝る場所くらい見つけられるよね

……うん。……ねえ、オレ、外に出なきゃだめ? 邪魔しないから、トイレとか、お風呂とか、端の方にいるから……

――駄目。家全体が必要なんだから。口答えするとまた蹴るよ

! わ、わかった、オレ外にいるよ!

――最初から素直にそう言ってよね

…………

「ニキハ、今日は楽しかったな! 『旅の市』で見たあれ、変な踊りが面白かった! 足音だけでカタカタ鳴らしてて――」

ニキハと呼ばれた、背の高い紺の髪の少年は、隣を歩く小柄な少年の矢継ぎ早な話を、時々返事をして聞きながら歩いていた。両手には、純白の六分儀を抱えている。

「――僕も楽しかった。おば……お姉さんがこれを安くしてくれたし。……真実が見える六分儀だって。その魔法もすごいけど、ちょっと使いどころに悩んじゃうね」

旅商人の若い女性曰く、六分儀は、星や灯台などの高度と角度を測るための道具である。ニキハが気に入って手に入れた純白の六分儀には、筒を覗き込むと対象の『真実』が見える魔法が込められているらしい。

女性に促されるまま、純白の六分儀で女性の『真実』を覗いたところ、丸い視野の左半分には若い女性の快活な笑顔、右半分にはその女性と全く同じ服装で同じ笑顔の、皺の寄った老婆が映ったのであった。

ふと、ニキハが空を見上げた。夕日が空を赤く染めている。

「……シズイ、もう帰る時間……」

ニキハがおずおずと声をかけると、シズイと呼ばれた小柄な少年は俯いて、嫌だな、と呟いた。真夏より少し熱気の冷めた風が、二人の間をするりと通り抜ける。

しばらく間を置いてからニキハが、

「また明日、遊ぼうよ。明日はミトとかナータとかも呼んで、みんなで川に行こう」

できるだけ声音に明るさを混ぜて、笑顔でシズイを見下ろす。シズイはニキハを見上げて、にへ、と笑って頷いた。

ニキハの家の前で、二人は手を振って別れた。シズイの姿が見えなくなってから振り返ると、一階の大きな窓から、ニキハの母親がこちらの様子を伺っていた。ニキハと目が合うと、母親は呆れたように肩を竦め、部屋の中へ戻っていった。

「……はあ」

母親がなにを言いたいのかはわかっている。母親のその態度だけで疲れたように、ニキハは肩を落として家のドアを開けた。

「ただいま」

「おかえり。あなたまたシズイくんと遊んでたの? 今日はどこに行ってたの」

菜箸と溶き卵を持ったまま玄関先へやってきて、開口一番、母親はニキハを問い詰めた。ニキハはため息混じりに、面接をされる気分で回答する。

「今日はお昼から、広場で『旅の市』がやってたから……それを一緒に見てきたよ。――これ、変わった六分儀が売ってて、お姉さんが安くしてくれたから飾ろうと思って買ったんだ」

この地域では、旅人の交流が盛んである。故に、定期的に『旅の市』が催され、旅人同士やその地域の住民が買い物をよく行っていた。

母親は、純白の六分儀を一瞥しただけで、すぐにニキハを厳しい目で見つめた。

「お母さん言ったわよね。シズイくんには気をつけなさいって」

「シズイはなにもしてないし、なにも悪くないよ!」

ニキハが語気を強くすると、母親は首を振って、キッチンへ戻っていった。

(……なんで、お母さんはシズイを嫌うんだろう)

純白の六分儀が一瞬冷たくなった気がした。

(……使ってみようかな)

直接は聞きにくいことを知りたい時に、この魔法は使えるのかもしれない。

家の中に入り、ドアの隙間から母親の背中を見つめる。

(ごめん、お母さん……)

人の心を見透かす感覚に少し罪悪感を覚えながら、母親の背中を、そっと純白の六分儀で覗き込んだ。

丸い視野の左半分には、母親の後ろ姿。右半分は、真っ白。バーを手前から奥に動かして『真実』を探していると、かちり、と小さい音がして、右半分の上から母親が現れた。こちらを真っすぐ見つめる姿に、一瞬緊張が走る。『真実』が口を開くと、どこからともなく声がした。

『心配なの。ニキハがなにか変なことに巻き込まれないか。シズイくんのお母さんは危ないから、下手に関わって連れて行かれたりしないか――』

左側の母親が、こちらを振り返った。

「――っ!!」

慌てて六分儀から顔を離してドアの裏に隠れた。母親は手元を見たまま、料理を続けている。

ニキハは、純白の六分儀を抱えたまま、しばらくその場で俯いていた。

その日の夜。ニキハは、とりあえず机の上に置いていた純白の六分儀を抱えて、自室をきょろきょろと見回していた。

「元々は飾ろうと思って買ったんだ、綺麗に見えるところがいいな……」

独り言を呟き、タンスの上に置いて唸り、ベッド脇に置いて首を傾げることを続け、最後に、

「……うん」

出窓の脇に、ことり、と置いた。昼間に日が当たって六分儀がさらに白く光る様子を想像し、ニキハが満足そうに小さく頷く。

ふと、窓の外、見下ろした先の塀の脇を、人影が通ったように見えた。

こんな夜更けに、明かりも持たずに外を歩くなんて。

(……シズイ?)

窓から外を覗き込むと、少し離れたところを、金髪の小柄な少年が歩いていた。ふわふわと癖のある毛先を揺らしながら、散歩をするように、あるいは行き場のない風船のように、のんびりと歩いている。

まただ。以前シズイが、時々家を追い出されることがある、と洩らしていたことを思い出した。マイナーな宗教に入れ込んでいる、シズイの母親がなにかの儀式を行っているらしい。

自分の母親の言葉を思い出す。

『心配なの。ニキハがなにか変なことに巻き込まれないか。シズイくんのお母さんは危ないから――』

六分儀の中の母親は、そう訴えていた。その言葉が、ニキハの手足を鎖のように重く、しかし綿のように優しく締め付ける。

記憶の中のシズイは、逆らうと痛い目を見るから、と笑っていた。

(……笑えるわけ、ないのに)

気づくと、純白の六分儀を掴み、道の突き当たりに差し掛かるシズイの後ろ姿を、少しひんやりとした六分儀で覗き込んでいた。

画面の左半分には、やや遠く見えるシズイの背中。右半分には、暗い中で座り込んでいるシズイが見えた。服はぼろぼろで、あちこちに切り傷や痣ができている。

(……なんとか、できればいいのに)

傷つけたのは、シズイの母親だということはよく知っていた。もっと『真実』を見つけられないか、ニキハはバーをゆっくりと奥に押す。

シズイは、苦痛に顔を歪めて、泣きながらなにかを見上げている。バーをさらに動かすと、その視線の先に見えたのは、

(……僕?)

画面の中のニキハは、立ったままシズイを見下ろし、心配そうな表情を向けていた。『真実』のニキハの口が動く。

『大丈夫?』

シズイは答えない。ただニキハを見上げて泣いている。

『今助けるね』

ニキハが手を伸ばしたと同時に、シズイの背後から、大きな木の棒が振りかざされた。

ニキハはびくりと身を震わせ、後ろへ飛び退いた。どこからともなく現れた、ニキハの父と母の背後へ逃げ込む。横に振られた木の棒は、シズイの肩に当たって振り抜かれた。子どもに倒された人形のように、あっけなく横に倒れ込む。

『真実』のニキハは、盾のように立ちはだかる両親の腕の隙間からシズイを覗いていたが、しばらくして目をぎゅっと閉じ、その場から走り去った。

倒れたままのシズイの口が、小さく動いた。微かな声が聞こえる。

『……羨ましい……寂しい。ニキハは、ずるいよ』

ぶつん、

突然、両方の画面が真っ暗になった。ニキハが我に返ったように顔を上げると、シズイの姿はどこにも見えなかった。曲がり角の先に消えたのだった。

心臓が、いつまで経っても締め付けられる。呼吸が浅い。温かな湯舟に浸かっても、大好きなペットのうさぎを撫でても、羽毛のベッドの中に潜り込んでも、全身が震える感覚は止まらなかった。

(シズイは、友達なのに……助けたいけど、僕だけじゃどうしようもなくて、お母さん達はシズイを煙たがってて、)

純白の六分儀が、月明かりの下でニキハの目を突くように、淡く輝く。堪らず、寝返りをうって六分儀に背を向けた。

(甘えてたってことか? 自分だけ安全なところから見下ろして、同情して……シズイを、見捨ててた、のかな……?)

偽善、という言葉が、頭から離れない。

その日、ニキハの元にやっと睡魔が迎えに来たのは、空が白んできた頃だった。しかし朝は、ニキハの都合など全く気にもせず、木陰で眠るシズイを無慈悲に照らして、全ての人に平等にやってくる。

いつものように、夜が来る。その日も、ニキハとシズイは夕方まで一緒に遊んでいたが、帰りはニキハの家から少し離れたところで別れた。

家に帰ると、母親が眉を寄せて玄関先までやってきた。

「おかえり。今日は誰と遊んでたの」

またか、とため息をつきながら、シズイと、と口にしかけたところで、ふと、昨夜の六分儀の映像を思い出した。

両親に守られて、身の安全を確保する自分。

(――離れなきゃ)

「……ミトと、ナータと、……一緒に、川で遊んでたよ」

生まれて初めて親に嘘をついたかもしれない。

「……そう。よかったね」

母親は、またキッチンへ戻っていった。二人は同時に、かつ密かに、安堵のため息をつく。

(多分、シズイはまた来る)

辺りが真っ暗になった夜、ニキハは、出窓に張り付くように窓の外を見ていた。シズイの母親の『儀式』とやらは、常に二日連続で行っている、とシズイから聞いていた。恐らく、また夜に外を歩いているのだろう、とニキハは考えていた。外は暗く、静まり返っている。この時間に出歩く人間を、拒むように。

「――来た、」

昨夜と同じ道から、シズイはふらりと現れた。軽い咳をしている。

身を乗り出した表紙に、指先が純白の六分儀に触れた。氷のように冷たかった。

ニキハは、音を立てないようにそろりと窓を開け、シズイに向けて大きく手を振った。

「……大きな声は出さないでね、お母さんたちに見つかるといけないから」

「わ、わかった、けど……いいの? オレ、ニキハんちに忍び込んでるみたいだぜ」

「二人が起き出す前に帰れば大丈夫だよ……」

「なんでお前、こんなにこそこそしてまでオレを呼んだんだよ……?」

「……夜くらい、寒くないところで寝たいだろ? ……また家を追い出されたらさ、うちにおいでよ。お母さんたちに見つかったら、だめだけど……それより、友達が家に入れないことの方が、もっとだめだ」

その日の朝、純白の六分儀は、忽然と姿を消した。